今回問題提起してみた事で、色々な方々の天てれに対する考え方を知ることが出来、非常に有意義でした。
天てれは、視聴者が楽しむのは勿論ですが、てれび戦士が楽しめなければ意味がありません。楽しむ為には、やはり一定の余裕が必要かなと思います。
そうした事を考えると、てれび戦士が司会をするのは少し負担が重過ぎるとも思えます。
むしろ、てれび戦士には他の事にエネルギーを注ぎ込んでもらった方が良いかもしれません。
司会に向いている子も、他の適性を持ってる子も居るわけですから。
また、「大人とのコミュニケーション」も大事だな、と思います。
場の雰囲気が悪くなったり、てれび戦士が不適切な発言をした時でも、きちんとした司会者がいれば適切なフォローがなされて、スムーズな番組進行がされていくと思います。
特に天てれの司会には、センスの良さが要求されますので、ある程度場数を踏んだ人に任せた方が安心できます。
また、特定の積極的な子ばかりが目立つのも、番組として広がりがなくなってしまいます。
引っ込み思案な子の良さも上手く出せる司会者がいないと、どうしても、見せ場の多い子と少ない子に著しい偏りが生じてしまいます。
色々な性格の子の個性を引き出すのも、司会者の大切な役目ですね。世代の垣根や変な遠慮が無く、様々な面白い会話が飛び交うのが、理想的な番組の姿かもしれません。
いなくなってみると、オブザーバーとしての司会者の存在の大きさを感じますね。
天てれも12年目を迎え、1つの転換期に来ているんだと思います。それで、色々な挑戦がされている面もあるのでしょう。
私は、不都合があったら修正する事をいとわずに、新しい天てれ像を作り上げていけば良いと思います。やはり、やってみなければ分からない面は多いですから。
どうも、「保守的ではいけない」と言う考えが制作側にありそうな気がしてならないのですが、過去の天てれの良い面は「焼き直し」とか言われようとも、ドンドン使っていけば良いのだと思います。
私は、必ずしも斬新な物が良い物だとは思っていません。
頻繁に変える事で、番組の落ち着きが無くなる事は、残念ながら過去の天てれでは良く見られました。
一番分かりやすい例は、01年から03年まで毎年司会者が代わった事です。
従来の良い物と新しい物の融合が、天てれをより良い番組にしていくのだと思っています。
賢明な来訪者の皆様には既にご理解頂いているでしょうが、私には、元より天てれを中傷する意図は全くありません。
私のこう言う拙い文章でも、皆さんが天てれについて見つめ直してみるきっかけになったら良い、と思ってこの文章を書いてみました。
かなり偉そうな事を書いてしまいましたが、筆者の意図はそう言う事です。
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